
その国はヒマラヤ山中に位置する人口約80万人の王国ブータン。
1月7日首都Thimphuの病院で肝臓と腎臓に疾患を持つ34歳の男性がコロナ感染症で亡くなった、この国で最初の死者であり、パンデミックが始まって以来のたった1人の犠牲者である。
最初のコロナウイルス感染症が発見されて1年以上、裕福な国も貧しい国も、医療崩壊に苦しみ、経済的に壊滅状態となり、たくさんの人の命が失われている。
世界で1番幸せな国として知られているブータンはどのようにしてこのような偉業を成し遂げたのだろうか。
ブータンの実情
ブータンといえば、国民総生産(GNP)ならぬ「国民総幸福量(GNH)」というユニークな国家指標を掲げ、経済よりも健康や環境、チベット仏教文化の伝統に配慮した「国民の幸せ」を追求して、小国ながら世界的に注目を集めてきた国である。
ブータンは1人当たりの年間国民総所得が3080ドル(2018年)と先進国の10分の1程度で、経済的にはとても豊かとは言えない。
昨年、コロナウイルスが拡大し始めた当時、国連の発展途上国のリストにあるブータンは恐らく壊滅的な感染者を出すであろうと思われた。
約76万人の人口に対してWHO(世界保健機構)が推奨する医師の人数の半分にも満たない337人の医師しかいない。しかも高度医療のトレーニングを受けていたのはたった3分の1のみの医師であった。医療従事者はわずかに3000人、PCR装置にしてはわずか1台だけ。
また中国との北の国境は数十年に渡り閉鎖されていたが、インドとの国境は開かれており、インドは世界で2番目に感染者数の多い国に面している。
ブータン政府の記録的な速さでのコロナ対応
2019年12月31日。中国が原因不明の肺炎の発生をWHOに報告。
その後すぐ1月11日までにブータンは「国家準備計画」を策定し「緊急委員会」を設けた。
1月15日から呼吸器疾患の症状のスクリーニングを開始しパロ国際空港および国境で赤外線の熱スキャンを使用。
3月6日深夜、ブータンは76歳アメリカ人観光客のコロナ感染症陽性を発見。
そのたった6時間18分後、約300人の接触者の連絡先を特定し追跡そして隔離措置を行った。
それは記録的な速さでの対応だった。
3月ブータン政府は明確で簡単な対策を発表、国民の質問に対してヘルプラインを設置。
その対策とは観光客の入国を禁止し学校は公的機関および体育館や映画館を閉鎖、仕事はフレックスタイムへ変更、フェイスマスクの着用、手洗いの推奨、ソーシャルディスタンスをすぐさま取り入れた。
3月11日WHOがコロナパンデミックとして発令した5日後、ブータン政府はチャーター機で戻ってきた数千人の駐在員を含む、すべてのブータン人への強制検疫を開始、無料の宿泊施設やホテルでの食事を政府がまかない、無症状のを含め、全ての陽性症例を医療施設で隔離し、初期症状の段階で即座に治療することができたという。
その後3月末には保健当局が強制検疫を14日から21日に延長・これはWHOが推奨する14日間から1週間長い。
それは14日経った後も人に移す可能性が11%残されるという科学的根拠に基づいてのことだ。
さらにブータンは巨大なテストと追跡プログラムを構築、アプリを作成。
俳優、ブロガー、スポーツ選手などのインフルエンサーを起用し、ポスターや放送を通じて住民の衛生管理、社会的距離の確保、栄養食品の重要性が呼び掛けられている。
2つの大きな要因
1つ。大きな要因はかなり早い段階で最新科学に基づいた国家準備計画と緊急委員会を準備したこと。
加えてロテ・ツェリン首相はこうした対策に追われる中でも、週末にはメスをにぎる尊敬されている外科医の1人である。
ワンモ保健大臣も公衆衛生の専門家という強力コンビによってその国家準備計画および緊急委員会が正しく機能した事が重要な要因だろう。
こうした周到な予防対策をすることによって適切に早期の段階で感染拡大を食い止めたことにある。
コロナ禍という未曽有の非常時に、医療に熱心なエキスパートが折よく首相を務めていたことは、偶然とはいえ、いかにも「幸福の国」らしい。
2つ。国民の間で絶大な人気を誇る王室の存在だ。
ブータンは2008年、国王の親政から立憲君主制に移行したが、英オックスフォード大学に学んだ聡明(そうめい)なワンチュク国王は今も国民から敬愛され、絶対的な信頼を持ち得ている。
ワンチュク国王は厳しいロックダウンに耐える国民の為に救援基金を立ち上げ、これまでにパンデミックによって生計を失った34,000人以上のブータン人に1,900万ドルの資金援助を提供。またロックダウンの期間中は国民に食料と薬、その他の生活必需品を各家庭へ届けた。
と同時に今、政府がどのような対策を取っているのか、どうすれば健康でいられるのかを国民向けに説明し続けてきた。
また特筆すべきは、これまでの困難に耐えられるのは、これまで植民地化されなかったという歴史的背景のよって固有の伝統や文化に育まれて、独立を守ってきたこの小さな山国の人々の結束力ゆえだろう。
ティンプーの街中を行く男性は皆、日本の丹前に似た「ゴ」、女性は着物そっくりの「キラ」という民族衣装を着ている。
しかも民家から商店、ガソリンスタンドまで、ほとんどブータン特有の木造建築で統一され、チベット仏教寺院にあるのと同じ飾り窓、飾り屋根である。そこには伝統擁護と国王を中心とした国民の団結への強い意志が働いている。
ワンチュク国王は「この難局に当たって、われわれは小粒でも強靭(きょうじん)な力があることを見せなければならない。一致団結し、お互いに助け合おう」と常に自身も最前線に立って国民を、医療従事者を、ボランティアを勇気づけた。
ここにも見えてくる国王による絶対的なリーダーシップ。
「ウイルスによる人々のあらゆる苦しみを和らげるために、政府は責任を持つ」とも約束。人々は国王のこの言葉を心に刻んでいる。
ブータンのこうした「幸せ」を追求する地域コミュニティーの大切さ・団結力の強さが、ブータンからも見えてくる。この国はたくさんの事を教えてくれてる。