
歴史的に見て,伝染病やパンデミックは,偏見や差別を誘発しがちである。日本ではコロナに感染した人への差別。医療従事者への差別が大きく取り出たされている。単一民族である日本人独特の神話的思考から読み解く。
日本看護協会が9月にインターネットを通じ、看護師や保健師、助産師や看護食品を対象に行った調査によると、新型コロナウイルスの感染が拡大し、看護職員の20.5%が周囲から心無い言葉を掛けられるなど差別や偏見に遭った経験があることがわかっている。差別や偏見があったと回答した人の中では、家族や親族が心無い言葉を言われたのが27.6%、患者から言われたのが19.8%。子どもが通う学校などで親である看護職員が入室を断られたり、地域の店舗や施設に入場を拒まれたりしたのも、それぞれ約4%あったという。そして今はコロナに感染し、後遺症悩む人たちへの差別もまた大きな社会問題になりつつある。
もちろんヨーロッパで見られる差別もある。でもそれは医療従事者や新型コロナウイルス に感染した人へ対してのものではなく、黒人(Black)・アジア系(ASIA)・マイノリティの人種(Minority Ethnic)、の頭文字をとったBAMEという、より大きなカテゴリー「人種」に対しての差別である。パンデミック初期、ヨーロッパでも一部の人間の間で「中国ウイルス」、「武漢ウイルス」と言われ、東アジア人差別が蔓延した。いわゆる「ヘイトクライム」と呼ばれるものだ。各地で東アジア人を標的に「日常」を奪われた人たちがその鬱憤を晴らすかのように差別が横行し、罵倒、暴行、セクハラ事件が相次いだ。そこに「Black Lives Matter」アメリカで始まった黒人差別運動にあおられ、死者も感染者も増え続けていく恐怖と不安の中で、それは次第に外出制限の中で社会を支えるために働く、いわゆるエッセンシャルワーカーの割合が高いBAMEの人々の間で、自分たちはウイルスに感染するリスクにさらされ、不当に差別されているという不満が高まっていったのだろう。
流れを決定的にしたのは、5月に発生した、ロンドン・ビクトリア駅での事件。駅員として働いていた黒人女性、ベリー・ムジンガさんが、ウイルスに感染していると主張する白人男性から唾をかけられ、その後、ウイルスに感染して死亡。のちに警察は、唾をかけられたこととムジンガさんの死に直接の関係はなかったと結論づけていが、それより問題になったのはムジンガさんが呼吸器系の疾患があったのに、フェイスカバーなど身を守る装備もないまま、その後も駅での仕事を強いられたことだった。それを受け「ムジンガさんに正義を」という声が強くあがり、イギリスでは抗議デモが10万人規模に膨れ上がった。その怒りはBAMEの人々への人種差別だけでなく、差別を形づくったイギリスの歴史へと向かっていっている。
保守派が言うように、「コロナの鬱憤晴らしだろう」と思う人もいるかもしれない。人間は混乱した状況下になると、自身の恐怖や不安感を他人に責任を被せたくなるものだ。それ故に、ヨーロッパの白人社会においてBAMEにしわ寄せが来たのであろう。
日本の差別は欧米で見られるものとは少し形が変わる。古代日本人から続く「神話的思考」、日本特有の宗教的思考の中に「けがれ」を嫌うというものがあり、それが大きく影響しているように思える。神話や昔話で繰り返し語られる物語から、多くの日本人に共通する深層心理を浮かび上がらせる。古事記のイザナキ・イザナミ神話。イザナミは黄泉の国でくさりかけてウジ虫がいっぱいたかり、その体には恐ろしい雷神たちがとりついている姿をイザナギに見られてしまう。禁を破られ、恥をかいてイザナミは怒るが、これを見たイザナキは汚い、醜いと感じる。そして、彼は黄泉の国での「ケガレ」を恐れて、「ミソギ」を繰り返すのだ。黄泉の国に満ちている「ケガレ」が何に起因しているかというと、それは「死」であるという。
新型コロナウイルス感染症は誰でも感染するリスクがあり、「不潔」なものではないことは大前提であるが、日本人は清潔好きで、不潔を罪悪視する。まじめだし、自粛する。自分をおとなしくさせて、パニックを起こさず、粛々と行動する。しかしこのような忌避心理が不潔恐怖や加害不安を生み、ある意味感染対策としては機能している反面こうした差別を生むのだろう。
こうしてみると、また日本が単一民族国家である事にも起因していると思われる。民族が単一の国であるゆえ、その人、個性の違いが気になって仕方がない。周りの人と違う事を嫌い、恐れる。同じ制服を着て「右向け右」精神が子供の頃から頭に叩き込まれてきた。だからコロナの後遺症の脱毛で悩む人の、見た目の違いを受け入れられずに「体調がよくなったら職場に戻るように」といった言葉が平気で投げかけられてしまうのだろう。しかしヨーロッパのように多民族国家になると、もはや個性の違いは気にならない。見た目が違うのは当たり前だから、基本的にはその人の人間性が判断される。
マスクをして手を洗い社会的距離と同様にこうした多様な人々やコミュニティを受け入れることも、また重要な公衆衛生上の実践であり日本人はこの点においてもう少し柔軟な考えを持つべきではないだろうか。
また日本には欧米で見られる積極的な抗議活動があまりなされないように思う。こうしたパンデミック下での抗議活動にはいささか疑問も感じるし、抗議デモを推奨するわけではないが、WHOは,政府,市民,メディア,発信力のある人々(インフルエンサー),そして地域社会が,偏見や差別が広がらないよう対抗策を講じることを勧めている。
正確な情報がないと人々は偏見や固定観念の影響を受けやすくなる。新型コロナウイルスに感染しても,ほとんどの人々は回復する。まずはインフルエンサーの感染経験者がコミュニティーの多様性を反映し感染経験を語るべきであろう。同様に,現場で働く医療従事者をたたえることで,彼らに対する批判や偏見を減らすことができるのではないだろうか・・・恐れるべきはウイルスであり、人ではない。