ヨーロッパで17世紀にパンデミックとなり1/3が死亡したとされるペスト(黒死病)。人類の歴史の中で最も致死率が高く、壊滅的な被害をもたらした感染病の1つだ。

1656年に描かれたローマのペスト医師

そこで登場するのが「ペスト医師」だ。何世紀にもわたりヨーロッパでペストが大流行を繰り返す中で、公平に治療が施されるよう、ペストに襲われた町には専門家の「ペスト医師」を雇うようになる。彼らは予防薬やペスト解毒薬と信じられていたものを処方し、遺言に立ち合い検視を行った。

写真にもあるように17世紀のヨーロッパではペスト治療にあたる医師たちは独特な防護服に身をまとい、特徴的な鳥のクチバシのようなものが付いたマスクを着用していた。なぜ、このようなマスクの形をしていたのか。

医療が現代ほど発達していない当時はペストは鳥によって伝染するものと信じられていたことがあった。そのため、マスクを鳥型にすることで患者の病気を鳥に移し返し、快方に向かわせるという意味があったいう。また、クチバシ型のマスク内には強い香りを放つアンバーグリス、ミントやバラの花びらが詰められていたとされる。それは感染症は悪い空気で広がると考えられていたので、強い香りによって病気を遠ざけるという意味合いがあった。これも心理的なものに近く、実際の効果がなかったと思われる。人々は恐ろしいこの病気の本質をわかっていなかったのだ。

ペスト菌は人々の家庭内に入り込むと16-23日後になってようやく最初の症状がでる。鼠蹊部やわきの下のリンパ腺に腫れものができ、鶏卵大になったり、大きい場合はリンゴほどの大きさにまで膨れ上がる、やがて黒っぽい斑点が体中に現れ患者はおう吐し、頭痛に苦しみ、高熱によりガタガタと震え、弱って死んでいく。死者で墓地がいっぱいになると巨大な穴を掘って何百ものしたいを積み重ね、いっぺんに埋葬。また行きながら野山の捨てられる病人は後を絶たなかった。

リンパ節が腫れ上がるペストは「腺ペスト」と呼ばれる。しかし、これはペストの3つの病型のなかの最も一般的なものにすぎない。第2の病型である敗血症性ペストはペスト菌が血液中に入ったもので、皮膚の下に黒い斑点が現れ、おそらく「黒死病(Black Death)」という名前の由来となった。肺ペストでは呼吸器系がおかされ、患者は激しく咳き込むので、飛沫感染しやすい。中世には敗血症性ペストと肺ペストの致死率は100%だったと言われる。

この非常に感染力の強い病気はこれまで、ネズミの体内で最近が繁殖し、そのネズミから人へ感染したものと考えられてきた。ところがイギリスのEyamという小さな村で起きた感染に関する最近の分析で、わかった事がある。ネズミから人への感染はわずか1/4に過ぎず、残りは人から人への感染だったという事だ。そして誰が感染するかは年齢や貧富の状態、家族構成などが影響する事がわかった。感染の最も多かった集団は患者の子供やその家族。裕福な村民のペスト感染率は低かった。その感染媒体はシラミやヒトノミではなったのではないかと言われている。この小さな村では数百人が死亡したとされ、この村は今までの感染対策とは前例のない手段「村全体の隔離」を行っていたことが注目されている。

これまで数多く発生している歴史上感染症の1つの感染例にすぎないとはいえ、その歴史を顧み、感染病経路の研究をする事は今後の公衆衛生にも大きな意味があるだろう。

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